はじめまして!こむぎです🌾
数あるサイトの中から、このブログにお越しくださりありがとうございます!
私はキャリアもスキルもゼロの状態からフリーランスになり
気づけば3年目に突入しました。
…と、さらっと言いましたが
実は全然そんな順調じゃなくて。
そもそも私は、自分で決めるのが苦手でした。
小さい頃から「こうしたい!」って言えなくて
誰かの答えを探してばかり。
「これで合ってる?」「間違ってない?」って
正解を教えてもらわないと動けませんでした。
「スキルが付けば稼げるんだよね?」
くらいの気持ちで始めた在宅ワークだったけど
現実はそんなに甘い世界ではなく。
- 一つのスキルだけでは限界を感じ始めた
- 「案件が取れれば稼げる」と思って始めたけど、そもそも案件が取れない
- 子どもを寝かしつけた後、深夜まで作業しても…月3万円が限界
これは「パートの方が安泰では…?」と
正直、何度もやめたくなりました。
でも、そこで気づいたのが
「誰かの正解を探してるだけじゃダメなんだ」ってこと。
収入を安定させるためには
ただスキルを身につけるだけじゃなく
考え方を根本から変える必要がありました。
そう気づいてから、学びながらお仕事を続けていくうちに、
ありがたいことに定期的にお仕事をいただけるようになり
フリーランスを辞めずに続けてきています。
とはいえ
ここまで来るのにかなり遠回りもしたし、失敗もたくさん。
そんな私が
どうやってここまで続けてこられたのか?
ここから、そのリアルな話をしていきます。
幼少期~学生時代
幼少期:母が喜ぶ「わたしはいいこ」

私は、周りの大人たちから 「いい子だね」「おりこうだね」 と言われる子どもでした。
でも、それは本当の私ではなく、母の「教育」の賜物。
「○○ちゃんはできるのに、あなたはなんでできないの?」
「そんなこともできないなんて、お母さんが周りから変な目で見られる」
「お手伝いできないんだったら、お母さん出ていくから」
少しでも言い返せば、倍返しで「否定の言葉」が返ってくる。
次第に私は「どうすれば怒られないか?」ばかりを考えるようになっていました。
結果として
「自分の意見を言わない」ことが当たり前に。
正解はいつも「母の中」にあって
自分で考えるより
母の言う通りにするほうが怒られないから安全だった。
「自分で決めることが怖い」
「失敗してはいけない」という思考は
こうして30年近く私の中に根付いてしまったのです。
中学時代:正解が用意されている環境

中学に入学し、入りたかったバレーボール部は母からNG。
なので、ソフトテニス部に入ることにしました。
「本当はバレーがやりたかったのに…」
最初は残念でしたがしばらくすると
そんな気持ちはどこかへ消えていきました。
なぜならテニス部には
「努力すれば結果が出る仕組み」 が揃っていたからです。
- 下校時間ぎりぎりまで、走り込みとラケットを振る毎日
- 雨の日でも休みなし。空き教室でボールを打ち続けた
(天井の蛍光灯を何個割ったことか… 笑) - 先輩や先生に言われたことをこなしていくうちに
いつの間にか実力がついていた
そして、地区1位になり都大会に出場。
関東大会へはあと一歩届かなかったけど
この経験が強豪校への進学につながったのです。
この頃の私は
「継続すれば結果はついてくる」 という成功体験を積んでいました。
でも、それは
「正解が用意されている世界だったから」 成り立っていたこと。
目標は“試合に勝つこと”と最初から決まっていて
先生や先輩が“どうすれば勝てるか”を教えてくれた。
私は、与えられた正解の中で努力し
成果を出せることに満足していました。
でも、この考え方はフリーランスとして働く上で
乗り越えなければならない壁になっていきます。
そして、私はそのまま高校へ進学。
高校~大学:初めての挫折

高校でも部活の毎日。
頑張れば頑張っただけ自信がつき、結果に繋がる過程を楽しんでいました。
うまくいかないことがあっても
練習量を増やせばカバーできていた。
関東大会、インターハイ出場を経験し
そのまま強豪校である体育大学へ進学。
中学・高校とやってきたように
大学でも努力し続ければ結果は出ると思っていました。
しかし、その考えは甘かった。
大学2年生の夏。
「ブチッ」
という音とともに、左足に走る激痛。
捻挫を繰り返していた足の靭帯が、ついに悲鳴を上げました。
診断結果は「左足靭帯損傷(Ⅲ度):全治6ヶ月」
練習はもちろん、体育大学の授業も見学するしかなく、ただ遅れを感じる日々。
周りは全国の強豪校から集まった選手ばかりで、焦りばかりが募っていく。
「もう、ついていけないかもしれない…」
回復を待つ間に、自信はどんどん失われ
私は 「退学」を選びました。
それまでの私は「頑張れば何とかなる」と信じていました。
でも、この時初めて 「努力しても、どうにもならないことがある」
という現実を突きつけられた。
途中で投げ出したこの経験が私の中に
「私は何もできない」というレッテル を貼り付けることになりました。
- やったことがないから難しそう
- 失敗したらどうしよう
- 努力しても無駄だったら…?
「挑戦するくらいなら、やらない方がいい」
「失敗したらいけない」という子どもの頃の思考に拍車をかけていったのです。
結婚~出産
引きこもりから奨学金返済へ

挫折を経験してからは、バイト以外は家で引きこもり生活。
抜け殻のように何もせず、ただゲームをして時間を潰す毎日でした。
そんな中でも
高校から借りていた
奨学金と教育ローンの返済は待ったなし。
借りたものは返さねば。
ありがたいことにバイト先でそのまま契約社員として働けることになり
返済を開始。
毎月の返済はなんとかできていたけど
この生活を20年続けるのか?と考えたとき、ゾッとしました。
「もっと稼げる方法を考えなければ」という思考で頭がいっぱい。
それなら環境を変えて、一気に返済できる手段を選ぼうと考え
契約社員を辞めて夜職を開始。
選んだ理由はシンプル。
私にとっては、最短で返済を終わらせるための手段がそれだったのです。
結果的に、3年で完済を果たし、その頃に出会った主人と23歳で結婚。
ようやく安定した生活を手に入れた…と思っていました。
でも、がっつり働いてる周りと比べると自分は空っぽ。
そんなモヤモヤを抱えつつも
正社員で働くことには否定的な旦那。
「専業主婦でいてほしい」そう言われたけど
同居の義母と一日中一緒は、正直難しく…
それなら、とパートを始めることにしました。
妊娠中にパート先が倒産 ~義母の借金発覚~

6年間くらいお世話になったパート先が妊娠中に倒産してしまい
働き先がなくなってしまいました。
「まあ、子どもが小学校に上がるくらいから働けばいいかな」
そんな楽観的な考えも、出産後すぐに吹き飛びました。
オムツにミルク、ベビー用品…
びっくりするくらい、お金が飛ぶ飛ぶ!
そして、さらに追い討ちをかけるできごとが。
旦那さんから「ちょっと話がある」と言われて
同居中の義母に数百万の借金があったことを伝えられました。
想像の斜め上からの出来事で、頭の中は大混乱。
「これ…誰が返すの?」
義母は「迷惑をかけてごめんね」と言うけど
年金暮らしをしている義母の月の返済額は1万円。
このままじゃ、いつまで経っても終わらない。
将来もっと苦しくなるのは目に見えていました。
誰が返すかなんて決まってる。
結局、私たち夫婦が一括で支払うことに。
貯金が一気に目減りし
もはや「働かなくていい理由」なんて
どこにもありませんでした。
しかし、私が焦る気持ちとは裏腹に
周りの意見は働くことに否定的で。
…え、じゃあどうすればいいの?
と頭を悩ませていました。
フリーランスとして働き始める
家で働く、新しい働き方

「何かできることはないのかな?」
そう考えながらスマホを見ていたとき、目に飛び込んできたのが
「在宅で高単価!子育てと両立して働ける」というSNS広告。
今まで「働く=外に出るもの」だと思っていたけれど
家で仕事ができるなら、旦那や義母の希望も叶えつつ
収入も得られるかもしれない。
これしかない!と思い
ろくに調べもせずに動画編集のスクールに入ることに。
ほぼPCなんて触った事がなかったけど
「PC買わせて!」と旦那に頼み込み、勢いで購入。
そして、私は 「家で仕事をする」という
新しい働き方に挑戦することを決めました。
スキルをつければ稼げると思ってた

私が初めてやった在宅ワークは「動画編集」
学んでいた期間は楽しかったのですが
問題は学び終わった後。
「どうやって仕事を取るんだろう…?」
仕事を取るにはクラウドソーシングサイトで応募することが必要
ということは教えてもらえましたが、社会経験がほぼ0だった私は
ビジネスメールの書き方すらわかりませんでした。
とにかく仕事をもらわなければ始まらないと思い
「応募文の書き方」 をネットで調べながら
クラウドソーシングで応募をし始めます。
なんとか数件の仕事を受注し
ようやく第一歩を踏み出したのに、すぐに大きな壁にぶつかります。
「編集に時間がかかりすぎる…!」
最初の仕事は、1分半の料理動画を3本編集する案件(1本3,000円)
子供が寝ている間に作業して
1本作るのに丸2日かかりました。
1週間フルで働いても、9,000円。
「このままで、本当に大丈夫そ…?」
と一気に不安になります。
でも、当時の私はもっと数をこなしていけば
いつか高単価の仕事がもらえる!と思っていました。
次々と案件に応募。
けれど、どれも低単価ばかり。
1本3,000円、5,000円…。
中には1,000円の案件も。
それでも 「最初はやるしかない!」 と割り切って
ひたすら編集を続てました。
ただ頑張るだけじゃ、変わらない。

しかし、どれだけやっても単価は上がらない。
「なんで収入が上がらないんだろう?」
その答えが分からなくて
気づけば私は幼少期に「母の答え」を求めたように
「誰かの正解」を探し始めていました。
- 成功している人のやってることを真似る
- 「単価を上げる方法」を調べる
- スクールや教材を渡り歩く
でも、何をやっても自信が持てないし
うまくいきません。
しまいには、睡眠不足から体調を崩してしまいます。
家族に迷惑をかけてしまっては本末転倒。
そこで改めて自分の働き方を見直すことにしました。
フリーランス人生の転機
あるスクールとの出会い

フリーランスになっても
私は自分で決めることができていませんでした。
「誰かが正解を教えてくれる」ことを期待して
答えばかり求め続けていたのです。
「このままじゃダメだ」
そう悩んだ私は、前々から目にしていた
ある実践型スクールに入ることにしました。
(本音を言うと、「答えを教えてもらえる」と思っていたのが正直なところ🫢)
そこで待っていたのは「答え」ではなく
「考える機会」だったんです。
フリーランスとして生きる覚悟

実践型スクールでは
基礎知識や考え方を学ぶだけでなく
「自分で考えて行動すること」 を求められました。
この「自分で考える」ことがどうにも苦手で。
なぜなら、私はずっと「間違えないこと」を優先して生きてきました。
- 周りに合わせて動けば、大きな失敗をしなくて済む
- 誰かの正解に乗っかれば、間違った選択をせずに済む
「こうすれば間違いないよ」と言われた道を歩くのが
一番安心だったんです。
でも、ある時気づきました。
誰かの正解に頼ってばかりだと
いつまで経っても自分の行きたい道には行けない
フリーランスに 「正解」なんてない。
選択肢が無限にあるからこそ、自分で決めるしかない。
そして、決めたことに責任を持てるのは自分しかいないんです。
この経験から、私は初めて
「自分の選択」に向き合うようになりました。
「フリーランスとして生きる覚悟」
ここにきてやっと、本当の意味で腹をくくれました。
さいごに

フリーランスも3年目。
今でこそ定期的にお仕事をいただけるようになりましたが
それは、スクールで根本的な考え方やマーケティングを学び
実践してきた結果です。
そして現在は、さらに収益を伸ばすために
Webマーケティングを基礎から学びながら
試行錯誤している真っ最中!
- 収入が安定せずに悩んでいる
- なかなか案件に応募できずにいる
- 頑張ってるのに、なんかうまくいかない…
- 睡眠時間を削り続けて作業するのも限界
- イライラしすぎて家族と険悪ムード
と悩んでいる方の参考やきっかけになればと思い
このブログでは、私の失敗談まで赤裸々に発信していきます。
皆さんがもし「フリーランスやめたいな…」と思ったときに
私の経験が少しでもお役に立てばうれしいです。
また、私自身が学んでいる過程もお伝えしていくので
一緒に踏ん張りましょう!
最後まで読んでいただきありがとうございました!